【自己紹介】会社を辞めたら人生変わった

解雇からフリー自己紹介

仕事しかない人生にうんざりだった

もしかしたら、今も毎日電車に乗って通勤しているはず。

私は39歳の男。

ここ1年間、好きな時に寝て好きな時に起きている。

こんな暮らし方ができるなんてサラリーマンの時は想像もしていなかった。

私のサラリーマン時代は、

仕事がつらい、通勤がつらい、人間関係がつらい、でも会社を辞められない。

こんな感じでした。

このブログを始めたのは、私と同じような境遇の方の助けに少しでもなればと思い始めました。
そして副業と言う収入があることで、人生が少しでも変わることを体験して欲しいと思います。

ニートは自由だけど歳をとると不安になる

18歳で静岡から上京
デザインの専門学校に通う
学校は真面目に行ってたので普通に卒業
卒業はしたものの、就職はせずアルバイトをして過ごしていました。

いわゆるニート。

遊びがメインの暮らしで、極端に言えばその日暮らしのような生活
色々なバイトをしては、遊んだりクラブに行ったりしていました。
もちろん、そんな暮らしをしていたので

真っ当な職歴なんてない

若いうちは、なんとかなると根拠のない言い訳を自分にしていたしなぜか、
なんとかなると言う自信までありました。
けれどそれは若いうちだけど、歳をとるにつれ仕事に対する不安は大きくなっていきました。

広告業界に就職をしたが・・・

20代後半になると、あるバイト先で知り合った人に声をかけられ就職をすることになった。

入ったのは広告業界。

いわゆる「広告代理店」だ。

広告代理店と聞いても、聞いたことはあるが何をしているかよくわからない。
そんなことをよく言われた。親にもそう言われていた。

名前の通り広告関係なのだが、幅が広いのが広告代理店。

私もデザイナーとして入ったものの色々なことをやった。
某有名スポーツ大会の装飾制作や某栄養ドリンクのセールスプロモーション。
都内の某施設などでイベント運営・進行に某テレビ局での展示の仕事等。

さまざまなことを経験ができたし、有名人に会うこともあった。

元々デザインの専門学校に行っていたので、デザイナーとして就職したわけだが、
その時はデザインの実績はなかった為、会社に入ってからとても苦労した。
技術を学ぶことはもちろん、社会人経験が少ないことでの中傷をする人物もいた。

そしてなにより、

広告業界のいわゆるブラック体質に直面することになる。

サービス残業(ほぼ毎日)サービス休日出勤(代休無し)有給の取得なし(社内の風潮)

あまり詳しいことは書けないが、とにかく会社へ自分の時間をほぼ捧げていた

  • 「自分は何をしているんだろう?」
  • 「何の為に生きているんだろう?」
  • 「これが社会なのか?」

そう思うようになった。

その頃は洗脳されたかのように自分自身を肯定していた

  • 「これが普通なんだ」
  • 「我慢が大切」
  • 「続けることが大事」
  • 「みんなも大変なんだ」
  • 「自分が甘えてるだけだ」
  • 「仕事しないと生活ができない」
  • 「辞めたら次がない」

さまざまな肯定と不安要素が無限に溢れ出すようになった

『辞めたい気持ちとは裏腹に、やるしかなかった』

人生が変わるきっかけ

東京にいる意味もなんの為に暮らしているのかもわからなくなったある日
いつ頃だったかは覚えてないが、こんな感じの検索をした

「東京 疲れる」「仕事 辞めたい」

こんなニュアンスの検索だったと思う

そこで出てきたのが「まだ東京で消耗してるの?」と言うサイトだ。(今は変わってる)
有名ブロガーの【イケダハヤト】さんの当時のブログタイトルを見た瞬間に自分みたいに東京で消耗していることって

間違いなんだ!

そう思えた。自分への甘えでもないし、辛いものは辛い。

ブラック企業がおかしいってこと。

胸に詰まってたものが無くなった気がした。
それからはイケハヤさんの記事を見て考え方やお金の勉強をすることにした。
いつか、脱却する為にここから自分で努力をするようにした。このブラック企業から逃げる準備を始めることにした。

逃げることが大切だと思えるようになった。

ただ、ブラックな毎日は相変わらずでクタクタの日々。

コロナが人生を大きく変える

そんな時コロナが流行りだし、広告業界は大打撃。

勤務していた会社はイベント関係の仕事が多くコロナで業績が悪くなるのは明らかだった。
これは良い機会だ!このタイミングでよかった。
私は、その時にコロナと言うこともあり社長に在宅勤務のお願いした。

出勤至上主義の社長はもちろん不満に思う。

だが、私は会社の不満など色々なことを社長にぶつけた。

すると、自主退社を促してきた。

私は色々と勉強をしていたので、冷静に対処をした。
結果的には、解雇という形で約9年間務めた会社を辞めた。

これから辞めようと思っている方に言っておきたい。
自主退社を促されても、絶対に受け入れてはいけない。

書類がでてきてもサインをしない。ここが大事だ。

そんなこんなで、ゴタゴタしたものの会社を辞めることになった。
辞めることになったというよりも、やっと辞めれた!

ここが人生の岐路になった

見えてた世界が一気に変わった瞬間

辞めた日のことは今でも覚えている。

世界が一気に変わった。

ここで1回目の「人生は一瞬で変わる」を体感する
今まで見ていた周りの景色が、一気に輝いて見えた。当然、気持ちも一気に楽になった。

せっかく時間があるんだ、ダラダラせず、やることをやろう!
イケハヤさんのブログで色々と学んできていた自分は、
とにかく何かしようとすぐに思えたし行動ができた。

YouTubeを始める

自由になった私がまずやったのが

「YouTube」を始めることだった!

無職の私にあるのは「時間」!すぐに始めた。
会社を辞めて数日ダラダラしたものの、数日後の夜中2時ごろYouTubeアカウントを作った。
夜中に写真をとったりしてアカウントを完成させた。

自粛の期間だったので、流行っていたvlog系チャンネルにした。

そして週2回動画をアップし続けた。

デザイナーをしていたので、動画編集も多少できたのがよかったがそれでも毎回、編集するのは大変だった。目標を決めないでやっていたら続かなかったかもしれない。

動画は制作は毎日の日課にした。これは今でも変わらない。

ここで2回目の「人生は一瞬で変わる」を体験する

YouTube開始7ヶ月で「収益化」に成功した

これが早いか遅いかは人によって違うと思うが、自分の中でようやくスタートラインに立った気がした。そして、会社に勤務することなく自分の作ったコンテンツで収入を得ることができた。

この収入の質は、とても価値を感じた。

今でもこのYouTubeチャンネルから「毎月収入」がある。

まだまだ収益は少ないが、続けて少しづつでも伸ばしていきたい。
そして、もう2つのチャンネルの収益化も狙っている。
現在、3チャンネルを運用している。

実績があると繋がりができる

このYouTubeの収益化成功の実績を元に、
元々、グラフィックデザイナーだった私はデザイン制作、動画制作の依頼、またデザインの個人レッスンをすることができた。

コロナ禍ってこともあり、スキルアップしたい社会人の方が多かった。
本業もあるが、ちょっとしたデザインやデザイン修正を自分でできたい。そんな志が高い人が多かった。今でも、何かあれば連絡ができるお付き合い。とてもいい繋がりを作ることができた。

新たな出会いができるきっかけにもなった。

同じ志を持つ人との出会いもあった。
お子さんの趣味で知り合いった、飲み友でもあるパパブロガーさん。
出会った時は、ブログをやっていなかったが私のYouTubeに触発されたようでブログを始めた。

そしてなんとブログ開始5ヶ月目で6桁の収益をあげてるらしい。

すごい!

お互いに副業で収益を上げているので、話は盛り上がる。
本当に色々な繋がりができた。そしてきっとこれからもできるだろう。

自分がYouTubeをやってることを知ってる友達や、
初対面の方にYouTube収益化できたことを伝えると

「YouTubeは最近どう?」「収益ってどんな感じ?」と聞かれる。

みんな興味津々だ。私はそんな質問をしてきた方にこう言っている。

「貴方もやってみたら?」

ほぼ、全員やらないが(笑)

YouTube収益化からブログも始める

YouTubeの実績からアドセンスとASPは1発合格。
アフィリエイトもできるんだから、ブログをやってみよう。

そう思った。そして即行動。
YouTube3チャンネルとブログをやるのは実際大変だ。
けれど、それ以上に可能性があると思ってワクワクしながらやっている。

会社勤めではどんなに頑張っても給料は上がらなかった。

それが、自分の頑張り次第で増やすことができる。
もちろん失敗する可能性もあるが、やって失敗をするなら価値はあると思っている。
やらずに終わるより、やって終わりたい。

今悩んでる方に自分の経験を伝えたい

もちろん失敗談も含め書いていこうと思う。
そして、このブログの収益化も目指して頑張るつもりだ。

ブログの収益や状況も今後報告していくので長い目で見てもらえたらと思います。
今仕事をしていて辛い、今後何かしたい、仕事を変えたいなど考えている方は
ぜひ、定期的に見て欲しいし少しでも働きたくないと思っている方の役に立つような記事にしたいと思っている。

長い自己紹介を読んでいただき、ありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。